5.16.2020

無題63: 見えざる力

見えざる力


自粛生活で、まず入れ込んだのがガーデニング。以前から、植物の世話をするのが好きだったけれど、どこへも行けないこの生活はガーデニングへと私を刺激して、今年は今まで育てたことがなかったトマトに挑戦している。トマトはとにかく水を飲みまくる。こんな雨の日には水やりをせずに済む。すぐに一尺を超えてしまい、透かさず大きな鉢に移した。すでに実が徐々に膨らみ、ふっくらとし出している。

食用ハーブは、チコリ、チャイブ、パセリ、セロリやミントなど、和物は山椒と紫蘇。

芳香があるローズゼラニウムは、風の強い日に枝が折れた。手当ての結果、梢が螺旋状に伸び進んで、枝葉によって創られたその空間は、理を悟った崇高な僧侶のような佇まい。長じる勢いもあるが、強すぎる日差しが苦手で水もすぐに干上がり萎えてしまうようなので、穏やかな太陽光を取り入れられる東北東の窓辺に奉られている。午前7時前になるとちょうど窓から朝日に照らされて、特に晴れの日は、差し込む光で美しい陰影を壁に描く。



よく晴れた眩しいほどの日差しのある昼間に、十尺以上あろうかという大岩が立ち並ぶとある一角に私はいたのだが、西洋で言うところのリースのような茅葺で作られた巨大な装飾物が、日本家屋の玄関前に備え付けられていた。振り向くとあちらもこちらもと言う具合に、一堂に同じ方向を向いていることに気がついた。土着的な構造物に迷い込んだ、なんとも表現し難い荘厳な景色に界隈の念を抱いた強烈な夢を見てから、方角という在り方について心なしか興味を抱くようになった。



鬼門や裏鬼門など方位によって運勢を考える見方や風水などを連想すると、欺瞞のような気持ちが生まれてしまう心理が働くが、植物が太陽に向かって伸びる姿を見ていたり、万物に恵みを与えるという太陽の原理を思い巡らすと、当たり前のような一日も奇跡のことのように感謝の気持ちが湧き上がってくるのも不思議だ。


その夢の話もそうだが、方角には訳があるように思う。私は、桜の木に守られている自分の場所が気に入っていて、位置が気になったので調べてみた。ちょうど、富士山山頂と皇居を結ぶ線上にあり、西方向に進むその延長線には伊勢神宮が位置する。皇居に続く東の線の先には、おおよそ茨城にある御岩神社がある。神社に行き不意に写真を撮ると光が綺麗に映り込む。なぜだろうとふと不思議に思い調べてみたら、ネット上には所謂スピリチュアル系と言われる方々の投稿が、たくさん出てきた。要は、神々の知らせということ。写真の露光の具合でそうなることもよくあることだし、私は美術教育を受けたので写真は専門ではないが、見えうる色相、彩度、質感、そして明度、輝度や照度といった光の分量について、感覚的に判断されうるものを比較的論理的にとしてとらえられている方だと思う。その光の調子は、確かに気分はいいし、神秘的なんだけど疑問だった。限定的には最後まで、いいえ、といえるこだわりある一方で、解らないことには、寛容でありたいと思う。



そこで、話を戻し、アポロに乗った宇宙飛行士のエドガー・ミッシェルさん、日本人女性初の宇宙飛行士の向井千秋さんが、世界で唯一、宇宙から見て光っているところがあると、その光の柱の緯度経度を割り出したところ、そこが日本の日立の御岩神社という日本に現存する最古の歴史書、古事記にも記されているような由緒ある場所だったらしい。宇宙から客観的にそう見えたなら、それは確かめたいところ。そういえば向井さんが、誰かの同級生だったことを思い出して、三人姉妹の母に聞いてみた。母の高校の同級生で、最近同窓会にもよく来るから今度会ったら聞いてみると言ってくれた。どうなんだろうと、密かに楽しみにしている。



私の場所は、少し小高いところにある。周りは戸建ての住宅街なので、太陽が東へ上がり西に沈むのも、遮るものがなく眺めることができ、植物が太陽光に向かって成長する姿を日々眺めていると、判断することもなく森羅万象であると見えざる力に守られていることを構えることなく受け入れられる。主観は気分や心理で変化するけれども、ひとつの太陽、ひとつの地球、この絶対的なものに対する隈れと、印象的な夢のビジョン。目の前の桜の木から、方位、西に富士山、東に皇居。世界で見れば、西に世界最高峰の霊山エベレスト、東に自然を崇拝するネイティブアメリカンの聖地であるマウントシャスタに位置することが漠然と嬉しい。


神道、八百万の神がみが自然とともにあり、様々な神社から守られた皇居に暮らす現人神と言われる天皇陛下という象徴が、国家を独裁するという存在としてではなく、令和で順位継承第126代になり、世界で唯一途絶えることなく二千年続いたこの奇妙な日本に生まれたので、私は目に見えない力に手を合わせて拝むという行為が、空漠たるときも大きな力に守られているという安心感になっているのかもしれない。


そして今日も、夢は私にお知らせを告げた。続